テクノロジーのジレンマ


マチュアバンドのギタリストで、古くからのネット友さんが、エフェクターを一杯並べることについて、ジレンマのセリフを書いていた。
 
<(ギタリストが)足元まで気を配るのは(中略)或る意味不自由なんですけどね>
 
……曲の場面場面において、ちゃんとサウンドに変化をつけたいとなると、どうしてもエフェクターを複数並べて踏みかえる作業が必要になる。でもそればかり気にしてると、演奏に集中できない部分が出てくる。即興性・衝動性を良しとするジャズやロックのアドリブ演奏となればなおさら、テクノロジーに呪縛されるようでは本末転倒であろう。
 
ロックは当初から、エレキギター=電気増幅が必須科目として発展してきた。その過程でシンセサイザーが登場し、現代のコンピューター打ち込みまで至ることは、その誕生時から運命的必然だったのかもしれない。テクノロジーが複雑化すると、覚える勉強が必要だったり、お金がかかったりと、気軽に手を出せなくなる。音楽をやるという目的が、テクノロジーが必要なために、う〜〜んと遠回りしなくちゃならないという、本末転倒なんともウギャーーとなるジレンマが生じる。これは本当に、いかんともしがたい呪縛だ。
 
「俺は生ギター1本で、ストリートで魂を伝えるんや!テクノロジーなんざ関係ねえぜ!」という向きもあろう。それも立派な考えの一つだ。でもプロとしてレコーディングとかに臨むとなると、そうも言ってられなくもなろう。それに第一、もう僕らは最初から「テクノロジーを通した音」を聞いて育ち、それにシビれて、目指す到達点もそこ……「テクノロジーがないと成り立たない」音楽だったりする。困ったことだ。
 
いろいろな機材を買い込み、あーじゃこうじゃといじくり倒し、ある日全部嫌になっておっ放り出し、また思い直して機材を揃え直す……。自分も散々やってきたことだ。オーディオマニアなども同じだと思うが、ある意味の「いたちごっこ」を、一生繰り返して終わるのかなと。ちょっと虚しい思いになりましたとさ。