アイドルとidols


・・・I didn't create the music for idols.(僕は別にアイドルのために音楽を作ったわけではないんです。)


Perfumeきゃりーぱみゅぱみゅのプロデューサー/ソングライターである中田ヤスタカ。彼が海外メディア向けに語ったインタビューで、こう言っていた。この内容は彼が昔から現在まで一貫して言っている事で、ファンにしては珍しくはない。要するに、アイドルポップスだからといって、意識してそれ風にしたり、音楽的に妥協したり世間風潮ににじり寄ったりした曲を、提供した事は一度も無いぞ!という自負心だ。


しかしそれはいいとして、問題は彼の発言ではなくて、英訳の(idols)の方だ。日本語の「アイドル」をそのまま「idols」と訳しているが、これはどうなんだろう。英語の意味的には(偶像・カリスマ)になるのではないか。日本語の「アイドル」はそうじゃなく、「若くて見目麗しいけど実力はいまいちで人気が優先する歌手・俳優」のことだ(爆)だからこれでは、意味・ニュアンスが違ってくるのではないか?と思ったのだ。


でも良く考えてみると、出たての頃のビートルズも「idol」と言われ、へたくそとも言われた。プレスリーやシナトラだってそうだ。してみると、訳はこのまんまで良くて、ちゃんと意味・ニュアンスも通じているのかもしれない。どっちなんだろう?わからない。


日本のアイドル像は特殊だと言われる。海外では幼く未熟な事はやはり「あまりよくない」ことで、子供っぽい感性や言動や行動はその個人の知性をも疑われる。そして芸ごとをやる以上、完全にプロフェッショナルで、凄いと言われなくてはいけない。下手な歌とダンスで通用しているのは日本だけだそうだ。このことは同じアジア系の韓国・中国でもそう。日本のアイドルみたいな未成熟を売りにした文化はアジアでも通用しない……。


……通用しない「はずだった」(!)


しかしながら昨今では、日本の「Kawaii」文化「otaku」文化が、海外を席巻している。幼く未熟な事が、逆にかっこ良くクールな「いいこと」になりつつあるのだ。今やAKBヤモー娘。ぱふゅやきゃりーのダンスを、世界中の若者が踊る時代だ。まさに世界総「幼児化・ネオテニー化」状況。


これはどういうことなんだろう。西洋の文化が、あまりにも厳しく性急に、若者に自立を求めすぎた、その反動なのか。そんなうがった見方をせずに、日本のサブカル・コンテンツのレベルの高さの勝利を素直に喜んだ方が良いのか。私なんぞは、今のこう言う状況の方が自然で、バカをやるのも若者らしくて良いなと思う。


「idols」が「アイドル」になるとしたら、それは大歓迎だ。(^^)