南沙織がいたころ


「今更なんでこんな本が出るんだ?」と思ったが、ファン心理に勝てず、買って読んでみた。


永井良和著「南沙織がいたころ」
http://www.amazon.co.jp/dp/4022734167/


筆者は関西大学社会学教授。返還前の沖縄から来て、アイドル歌手第1号になった彼女を通して、基地のある沖縄や社会問題を語る・・・というふれこみだが、実はただ単に南沙織の伝記です(笑)つか、社会学の本としてはおろか芸能本としてもどうにも中途半端で、出来は決してよくない。


しかしながら好きの一念岩をも砕く。筆者の「南沙織が好きだー!」という思いがどのページにもあふれ、愛情に引っ張られて読んでしまった。


さて内容。初めて知った事も多かった。南沙織さんの公式プロフィールでは、長い間「フィリピン人の父と奄美出身の母とのハーフ」とされていた。でもハーフがあんな顔になる訳が無い(爆)ので、これは間違いではないのかと長年思っていた。やはりお父さんは育ての父だったらしい。この辺の事情は、あまり詮索しても意味が無い。


この育てのお父さんが、宜野湾キャンプに勤務していた。ので基地側の人間として「米軍出て行け」とは、声高に言えなかったという。家庭ではほぼ英語、学校はインターナショナル・スクール、だが、そこは白人の子弟が通う学校ではなく、フィリピン系や他国籍を持つ子供たちが通う学校だった。差別されたかどうかについては、未だ彼女の口からは、その事実は聴いていないという。


この出生の秘密と国籍・人種・立場のジレンマは、彼女にやはり暗い影を落としたのではないかと思う。ジャケット写真とかを見ると、目が笑ってないのだ。笑顔でも目は憂いている。この点は悲しい共通点だが、出生の複雑さは後の山口百恵もそうだ。酒井法子もそんな目だし、現代ではしょこたんがやはり目が笑えてない。(でもしょこたんは自分で解決して行ってる過程だと思う。)


こういう人は往々に、自分とは何かというアイデンティティについて、深く思いを巡らす事になる。さらに彼女は、芸能界の置屋じみた過酷な労働環境やら、歌手として商業性と音楽性のジレンマとかに苦しんだ。アメリカ式の教育を受けた彼女には、なあなあで済ませられない事も多かったのだ。特に、自分の歌手としてのあり方、人間としてのあり方は、自分自身で決めたい、その思いが強かったのだ。かくして彼女は、事務所を変わったり、「もう引退します」と言い出したり。


そんな中で、フォーク/ニューミュージック系の人たちとの交流は、彼女にとってかなり有意義だったらしい。特に加藤登紀子さんは私的にもいろいろ支えになっていたようだ。あと泉谷しげる氏と吉田拓郎氏だが、この二人はファン代表で、あまり足しにはならなかったかも笑。


南沙織の日本語発音のあやうさが、巻き舌歌唱法のはしりであり、後の桑田佳祐へとつづく、Jポップの先駆である、という考えにも触れられていた。ま、もっともこれは、十年以上も前に私がすでに言っていた事だが(自画自賛


時代の境遇の葛藤の中で、必死に自分を生きようとする真っすぐさ、自分自身であろうとするひたむきな姿が、歌声にも反映されたのかと思う。日本には反抗と自分探しの「ロック文化」ってあまり無かったけど、数少ない例として南沙織という歌手が、それを体現していたのかもしれない。


■「夏の感情」これバックはティンパンアレー(林立夫細野晴臣松任谷正隆鈴木茂