時帰宅!


立入禁止区域の実家に一時帰宅してきました!旧パソコン及びHDレコーダーを掘出サルベージしてきました。


行く気になったのは、まず夏が終わってすずしくなったこと。長袖長ズボン軍手マスク着用なら、防護服つなぎは着なくてもよくなったこと。大型バスで皆で、ではなく、自家用車で人数も制限無しになったこと。の、3点がクリアされたから。だから役所の許可さえ取れば、家族で行って片付けて帰ってくる事も可能になりました。ただし線量計は持たされて、帰り際のスクリーニング検査は義務ですけど。


野を越え山越えのドライブ道で、晴れた秋空で気持ちがよかったです。途中、一応住民避難はした準備区域の田村市古道地区と、川内村上川内地区というところを通ります。それぞれ車を止めて線量を計りました。両地区と1m空間線量0.4〜0.5マイクロ。普段は0.1とかなので高いと言えば高い。でも人は生活できるんじゃないかな。準備区域は解除なので、帰宅して家の修繕とかやっている人もちらほら居ます。色々問題は山積とはいえ、自宅に帰れた人はうらやましいです。良かったと思います。


ただし両地区とも、米の作付けがなされていない。私の観た範囲ではゼロでした。地域の農協が汚染を考慮して自粛したのか、4月5月の避難騒ぎでそれどころじゃなかったのか、わかりませんが、全ての田んぼが休耕田とはやはり異様。補償問題になるでしょうが、お金の問題以上に、悲しい風景でした。


警察の検問も、許可証に書いてある車のナンバーが同じかどうかの確認だけで簡単でした。


で、山を下りて通い慣れた道へ入り、自宅のある町へ入ります。確かに人は居ないし草ボーボーだけど、住んでいた者としては「死の町」ではないなあ。今にも近所の人が出てきそうです。


町の図書館の前の空き地を通ったら、なんと出ました!「ダチョウ君」です!生遭遇しました!(@@)何を食べているのかわかりませんが、誰もいない町中をゆうゆう歩く姿は、なんだか気高さすら感じました。冬を越せるかなあ彼は。


さて我が家。屋根瓦が落ちて雨漏り必至だった東屋根に、シートが被せてありました。これは町役場に依頼すると、業者(多分東電の下請け会社とかそのへん)が動いて、やってくれるみたいです。ただし、時遅し、もはや雨漏りで畳が黒カビで駄目になった箇所がありました(TT)壁にもやっぱり亀裂が入っています。2階が潰れるとか、それはないけれど、でもそれ相当の修理は必要です。


自室は3・11の夜から、ぐちゃぐちゃのまま。まず倒れた本棚をあげて、下敷きになっているノートパソとHDレコーダ、+電源コード類を、なんとか引っ張り出す。さらにストラト……エレキギター@月賦が8月に終わった)を引っ張り出し、持って来たソフトケースにつめる。これでもう1時間経っています。散乱するCDと本は今回あきらめた。あとは冬物衣料を掘り出しより分け袋詰め。室内の割れたガラス等は、前回親が片付けたので無いようだ。テレビとかガラスの人形ケースなど、倒れて割れるものに毛布等を被せて床に置き養生とします。このへんでタイムリミット。ぱんぱんに車に積んで帰路につきました。


帰りは近場の「Jヴィレッジ」へ。ここが原発沈静化作業の拠点になってることは皆さんもニュースとかで知っているでしょう。スクリーニング検査は、ピッピ言う機械で、頭の先から足の先まで順に、体の表(胸側)と裏(背中側)を、なめるように調べられます。両手の表・裏、それと靴の裏……ここは念入りにスキャン。車の中ももちろん調べられます。タイヤは一番念入り。


帰りの道中午後2時ごろ、昼飯を食っていないのでさすがに腹が減る。検問は抜けたがまだ避難している店が多く、コンビニなんぞ営業しているわけがない。腹の虫グーグーいわせながら走っているとなんと1件、小さな酒屋兼スーパーが営業していた。救いの神とはまさにこれ。店のおばちゃんが「大変だったでしょう、カップ麺しかないけど、お湯は入れてあげますよ」といってくれる。そのカップ焼きそばの旨い事! 聞けばこの店の人も、「お盆まではずーっと避難していて、9月は行ったり来たり片付け、やっと2日前からこっちで寝泊まりし始めたの」とのこと。大変でしたね〜〜(TT)


でそんなわけで帰って来て、パソの中身が無事かチェックしながら、これを書いています。


最後にわが町我が家の放射線量。室内4マイクロ室外8マイクロ。ただし、庭木の植え込みや側溝の落ち葉は、やはりもっと高い。近づけると倍の16とかに跳ね上がる。神社の林とかに入ってみようかと一瞬思ったけどそんな時間も無く。この先古里はどうなるのか。まだわかりません・・・。