我が心の厭世(暗いぞ〜〜)


・・・人間は基本的には、なすすべがない物だと思う。望みもしないのに産まれ、苦しみばかりを生かされ、そして殺されていく。仏教かぶれの考えだろうが、存在の主体として自分が意思決定できる事など、何も無いのでないかとさえ思う。


他者の意識に入り込めない以上、他人とはどうしたって分かり合えない。だからこそコミュニケーションがあり、愛おしい努力があるんだというのが、大体の人間の考え方だろう。でもどうにも、そんな性善説的に和睦を信じられるような人生は、今まで送れなかった。いじめられっ子のトラウマか、他者はすべからく、親兄弟でさえも、自分を攻撃してくる存在と認識してしまう。


こういう厭世観と被害者意識にさいなまれて来てしまうと、世間的な幸福とか成功とかは、全く信じられなくなってしまう。特に他者が絡む社会的な幸福、結婚とか、豊かな友人関係とか、仕事上の出世とかは、全く自分には起こりえない、絵空事にしか思えない。


ことにバブル以降は、セレブとかイケメンとかが望まれ、人間をふるいにかけてランキングされる。どうしたって自分は等級外だと思ってしまう。


このように、現世においてことごとく敗北していくと、人間は自殺するか、オタッキーな趣味に逃げ込む。苦笑。


・・・つーわけで自分は、音楽オタクになったのかもしれない。ビートの、ハーモニーの快感だけが、自分の中で唯一、信じられることなのかもしれない。安心できる場所なのかもしれない。


宇多田ヒッキーがぬいぐるみのクマに話しかけたり、中川翔子ちゃんが飼い猫に「様」をつけて呼んだりする。あれは自分の心の中に、「クマちゃんの世界」「猫様の世界」があるのだ。そういう架空世界を作って逃げ込まないと、現世ではやってられない。何か巨大な恐怖につぶされてしまう気がするのだ。


この現実逃避感情は、完全には治らないと考える。作り笑顔を振りまき、愛想の良い振りをしたりして、程度は軽減されるように見せかけられても、劣等感・「世界存在は全部怖いのよう!(><)」という恐怖感とは、一生つきあっていかざるを得ないのはないか。


まっとうな子供〜青春だった人には分かりづらい感情かもしれないが。