少し成り行きを

おはです。ロピーのパソ占有して。少し時系列で、地震から避難のなりゆきを書いてみますかね。


●3月11日
会社で被災。経験したことのないゆれ。皆で一斉に外へ出るが立っていられない。腰が抜けるとはまさにこの状態か。大きなゆれが3回あったと思う。それぞれ震源が違うとは後で知った。建物損壊はないが中はぐちゃぐちゃ。ころあいを見計らって、とりあえず同僚に乗っけてもらって帰宅。家があって家人が外にいてほっとする。こちらも中はぐちゃぐちゃ。余震は10分おきとかに来る。ご近所に避難するがそこも危ないので、夜体育館に避難する。常に揺れていてとても眠れるものではない。幸い役場職員がおっきいストーブを出してくれた。ご近所さん一家と震えながら一夜を過ごす。


●3月12日
早朝から「もしかしたら原発があぶないことになるかもしれない。念のため隣町へ避難してくれ。これは全町民に命令だ」とお達しが出る。朝10時頃バスで続々避難。しかしこのときは、全員「原発が爆発する」などとはつゆも思わず「2〜3日で帰れるべ」と思っていた。せかされるし、一時帰宅もしていないので通帳や保険証なども持ち出せず、着のみ着のまま。ましてやパソコンなど持ち出せるわけがない。
隣町へ入るが、先々で、「体育館が一杯です、次の学校へ行ってください」とたらい回され、結構遠い学校に落ち着いたのが昼1時ごろか。その後、20数日に及ぶ避難所生活と、原発のあの「想定外の」事故がおこるとは、全く予想だにしていなかったのだ。事故の顛末は2日ほどたってから、新聞が来、テレビが映り、そこで初めて知ったのだ・・・。


ーーつづくーー