譜面について

今回はちょっと「譜面」の話。


「私もバンドやりたい!」と、ロックバンドを組む。この時、まず自分の大好きなミュージシャンの大好きな1曲を、同じように演奏してみたい! という衝動が真っ先に来るだろう。


演奏には譜面が必要だ。今は「バンドスコア」も、結構どんなバンドのものでも買えるようになった。隔世の感があるものだ。おぢさんがバンドを始めたころは、譜面なんてろくに売ってなかった。だから仕方が無いから自分で、せこせこ耳でコピーしたもんだ。


出来上がった譜面は当然間違いだらけで、そりゃひどいもんだった。でもワンパートづつ耳をそばだてて聞くことが、すごい勉強になったのも事実。この部分、コードがどうなっているのか、それに対してベーランはどう動くか。カウンターメロはどう動くか、とかね。調べることが、「音楽の構造理解」につながった。これが、後々オリジナルを書いて、Midiでやろうとなった時に、役に立ったわけだ。


もちろん完璧じゃない。音楽学校でピアノと平行して勉強した人には全然かなわない。いまだってバンドのメンバーに、コードの間違いを指摘されること多々だ。(><)


「譜面通りにやる」クラシックは、また別の世界だから置いておいて。ロック・ポップス・ジャズは、「譜面通りにやらず」に、「自分なりのプレイをすることが個性」であり、良いことだとされている。クラシックとは真反対である。手探り耳コピ世代の私も、その考えに毒されて来てしまった。だから「譜面は作るもの」であり、「一旦さらって弾けるようになったら、きれいに忘れるもの」だと、そういう認識に至ったわけだ。


別にアマチュアなんだから、譜面に縛られても、本当は良いんだけどね。そもそもへたっぴで、譜面通り弾けないことだって「すごく」多いし。つか、ほとんどそうか。苦笑。


**** で。こっから第ニ章。


バンドをやってると、意外とメンバーが「譜面がなくて弾けない」と騒ぐことがある。既成曲をカバーする場合でも、一応私が「コード進行表」だけは、作って渡すことにしている。が、それだけじゃ不足で「きっちり音符が欲しい」というのだ。


ったく、クラシックのプレイヤーじゃあるまいし、ぶつぶつ……と悪態をつきながら、何日も掛けて譜面を作ってやる。と、今度は間違いの指摘を山ほどされ(実際に間違ってるんだけどね…苦)あげくの果てに「自分はこうじゃなく弾きたいから、別なフレーズを弾くね」とか抜かされて、ブチキレたことがある「てめー!人に徹夜で譜面作らせておいてその態度はなんだ!金払え!」とね。ああーもちろんそのバンドは、ワタシが潰しましたとさ。笑。


それ以来譜面は、特に他人のパート譜は絶対、書かないことにしている。きっちり書いても、ほぼ「無駄な努力」になること請け合いだしね。必ずあーじゃこうじゃ言いやがるんだ(笑)それに、譜面を受け取って弾くだけの、受け身・指示待ちでは「主従関係」みたいになって、その場の空気はきわめて面白くないものになる。編曲してこうやってくれと頼む方も窮屈だ。


オーケストラやブラバンだったら、それぞれが自分のパート譜だけ貰って練習して、他のことは我関せず、だろう。与えられたパートを一生懸命演奏して、アンサンブルを完成させることも、それはそれで素晴らしいと思う。音楽に対する謙虚さ一生懸命さは、ある意味音楽をナメているエレキ野郎なんかより、はるかに尊敬に値する。


でもロックバンドの場合、それじゃイカンという部分も、あるのである。(いやイカンは言い過ぎか)


問題は、いざオリジナル曲を作って発表しようという段階になった時だ。オリジナル曲だから譜面なんて一切無いのである。どんな曲でも大概最初は、荒削りな弾き語りから出発する。そこにアレンジ「編曲」がないと、弾き語りの段階から、前に進めないのである。バンドアンサンブルにならないのである。


バンドアンサンブルを「つくる」ためには、全体をまとめるアレンジャーか、あるいは、おのおのが自分のパートを責任を持ってアレンジして作り上げる「プレイヤー個々の編曲力」が要求されてくる。


だから、ロックバンドを組んだら、どの楽器にせよ、「譜面がもしなくても、自分のパートは自分で、なんとか組み立て作って弾けるようにしよう」と、そこを目指して欲しいと思うのだ。自分のパートは自分なりにアレンジし、自分なりのプレイを出来るようにしよう、と。


そのためには、譜面は、ある意味「邪魔者」なのだ。譜面は「それを守って弾くもので、絶対あるもの」ではない。譜面は「ほんの一例を示した模範の一つ」にすぎず、時には「ないかもしれない」ものなのだ。