丸く収まりゃゆるゆるで


・・・「理念を掲げて理想社会を担う役割を果たしたい、というような理想主義的な意識がベースとなっていた面が変化し、前面に出て声高に主張するのではなく、密かに社会に貢献していこうというような控えめな意識がベースとなりそうです。」


・・・えーと、これは、とある「星占いサイト」の「水瓶座・今年の運勢」に、書いてあった言葉です。


これに私、結構ギクリとしたんですね。


別に社会変革を目指していた訳ではないです。しかし、例えば、自分のやっているポップ音楽創作・バンド活動、あるいは漫画の同人活動、「これこれこんな風にしたい、ぜひともこんな風を目指すぞ!」みたいな理想とこだわりは、自分の中に強くありました。


趣味の活動だけではありません。ナリワイにしている印刷物のデザインとか、会社の仕事の段取りの持って行き方まで、こうしてこう持っていくのがベストだよな!ってのは、常に自分の中では存在しています。


でも、思い通りに行くことなんて、ほとんど皆無、なんですね。自分1人で勝手にやってる訳ではないから。そこには必ず「人」がいるから。


それでずいぶん、ジレンマ・フラストレーションを感じて、人と衝突したり、出会いをふいにしてシカトしたり、ってのもありました。


理想にこだわっても、あんまりいいことないかもしれません。


今ちょっと自分の中で、変化が起きている最中です。理想を、すてるんじゃないけど、一旦脇に置いといて、関わってくる人々が皆、どうやったら喜んでもらえるか、最大公約数をとって丸く収まるか、を、最優先に考えていこうと、思い始めています。


これは悪く言えば、なあなあ、玉虫色、になります。けど、きっちり我を通して、あちこちに波風立ててまでやる、それだけの価値があるのか。本当は世の中で、価値のあるものなんて、あんまりないんじゃないか。あるとすれば、健康とか、思いやりとか、笑顔とか、そんなありふれたものではないのか。プロのクリエイターの方には申し訳ない書き方になるけど、創作芸術なんかをシャカリキになってやったから「だからどうなの?」と、思ってしまう。


バンドのメンバー募集のサイトなどを見ていると、若い方などは、それこそいろいろな条件を書き並べて募集をかけてますけど、本当にこれに合致するメンバーなんて見つかるのかいな? とか、思ってしまったのですね。そのへんから考え出してしまった。


人が周りが丸く収まれば、ゆるゆるでも、いーんじゃないのかなあああ。