私的音楽事始3

・・・さて、勝手にシリーズ化、じじいの四半世紀前の思い出話、私的音楽事始、その3(^^)

前回、大学生のアマチュアコンサートに触発された話を書きましたが、もうひとつ、いやもう一人、自分にとって音楽へのきっかけを引いてくれた「ナカくん」という友人がいます。吉田拓郎井上陽水などの当時渋めのフォーク、そしてビートルズからブリティッシュロック。クラスの中でいち早く、テレビの流行歌とはひと味違った音楽を聴きだしたのも彼だったし。ギターも、彼が音楽室備え付けのクラシックギターで「イエスタデイ」をさらっと弾く姿を見て、憎たらしくて羨ましくて、張り合う気持ちもあって、私も「モーリス」の(スーパースターも夢じゃないと言う、谷村新司のラジオCMにほさされて……笑)フォークギターを買ったようなものでした。

彼、ナカくんは成績優秀な生徒会長、スポーツも結構こなします。ですが性格が天然というか反応がスローモーなところがあり、そこがクラスのヤンキー連中にも受けて、しかも一目置かれていました。「ナカはバカなのか利口なのかわからん。きっと利口なんだろうけど、とにかく面白いヤツだ」と。ただ女子連からは「キモイ・不気味」とか言われていたみたいですが(爆)当時彼が夜中に、自動販売機の「ビニ本」……当時は「エッチな写真集」を売る自動販売機があって、その中の本にはビニールがかぶせてあったので、そう呼ばれていた……を、自転車のカゴ一杯に買っていく姿に遭遇し、彼がバツの悪そうな顔をして「じゃあな!」と言い残し、自転車で全速力で去っていく姿が、忘れられません。(笑)

当然バンド結成も、彼を中心に………と行くのが流れなんですが、何故かそうはならなかった。これまた私的な不思議の一つなんです。最終的にメンバーは、ドラムのケンジ、ギターのタカ、昨年残念ながら星になったヴォーカルのヒロシと、ベースの私と、4人に絞られていきました。ちなみに私が何故ベースになったかというと、ポール・マッカートニーが好きだったこと、弦が4本なら簡単だろうという甘い見通しがあったこと、それと、ギターの「タカ君」のほうが上手かったこと(悲)という、実に後ろ向きな理由からでした。

さて、小遣いを溜めバイトなどもし、それぞれ楽器を買い、ギターコードの第一の難関「Fコード」の壁も(笑)なんとか突破したものの、ドラムは高くて買えず、さらにキーボードに至っては、弾く人間も居ない。当時メンバーのバイブルは、70年代いにしえのハードロックバンド「ディープ・パープル」。その「ハイウェイスター」「紫の炎」などの曲を演奏することに、夢だったのです。しかしパープルには、ハモンドオルガンが全面フューチャーされている。例えギターのタカ君がなんとか弾けるようになっても「オルガンはどうするの?」という一言で、もう演奏は無理だったわけです。

そこへ、かの「ナカくん」が、登場するのです。スーパーな彼はエレクトーンでキーボードパートをさらっと……ってなことには、さすがになりません。彼が取り出してきたのは、

「木琴」(爆)

……足つきのシロフォンではなく、机の上に置く教育用のおもちゃみたいなものです。そんなものをどこから失敬してきたのか未だに謎です。「キーボードソロの部分はこれでやるべ!記念に録音もするべ!」と言い出した。ドラムはハナっから「段ボールと鍋ブタ」なわけで(爆)皆「まっ、いいか〜」となった。かくして前代未聞、英語はデタラメ、段ボールドラム、木琴ソロ入りの「ハイウエイ・スター」が、出来上がったわけです(笑)

でもってその演奏テープは、残念ながら紛失してしまいました(えーっ!)今聴いたら腹かかえて笑えるのにナア。

そんなこんなで、仲間達と楽器と音楽を覚えた中学2年は、過ぎていくのでした(続く…のかい?)