インスパイア道、失格

また盗作騒ぎのニュースが入った。

槇原敬之が「銀河鉄道999」テツローのセリフを盗作?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061019-00000018-spn-ent

ゲド戦記>挿入歌の歌詞が朔太郎の詩と酷似
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061021-00000011-mai-soci

なんか難癖つけられるなという感じだ。私は双方とも「インスパイア」されたもので、盗作の部類には入らないと考える。ただし、二つとも、槙原の場合は松本零士先生の999を、宮崎吾郎の場合は萩原朔太郎の詩を、読んでいたことだけは間違いない。気づかずやったのだろうと、好意的に考えたい。

インスパイアは同時にリスペクトを含んでいる。誰も好きじゃないものに影響は受けない。元となる作品がたまらなく好きで感銘を受け、尊敬の念を抱いて居るからこそ、似たものが出てしまう。あるいは「俺もこの作品に続くような作品を書きたい!」という想いから、同系統の作品を作ってしまうのだ。それは盗作してやろうという詐欺的意図とは、まったく反対のものだ。漫画・アニメの同人ヲタクの世界では、作品の「パロディー」も、一つのジャンルとして認められている。まあ裏のマニアックな世界だが、これだって、元の作品を愛しているからこそやっているのだ。

ことに前者、松本零士先生、ちょっと大人げないんじゃないの? って思う。ジャンルも違うんだし、むしろパロられて引用してくれて有り難う、ぐらいの鷹揚さが欲しいよ。

でも、この二つ、インスパイア作品として好意的に捉えても、出来は悪い(爆)そもそも「この部分がこう似ている」と、いっこいっこ指摘を受ける時点で、インスパイア道失格だ(笑)本当の優秀なインスパイア作品は、「完全に元ネタはあれだと分かっているけど、でもどこがどう似てるとは、細かく指摘はできない。何となく似てる、としか言いようがない」というレヴェルまで昇華していないとイカンのである。

いや、でも、何にも似てないに越したことはないけどね。笑。