いじめ隠しは悪いのか

2つニュースを拾ってみました。まずは。

■ 米タワーレコードの破産、原因はiPodとは別のところ
http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz06q3/513406/

洋楽ファンとしてはなんか悲しい。でもApple-Music-Storeだけが原因じゃないんですね。向こうではCDがスーパーマーケットで値引き販売できる。さらにアマゾンなどの通販も値引き販売する。中古CDもあるでしょうし。音楽供給の構造変化の面よりも、もっとシンプルに「安売り屋に負けた」ってことでしょう。

・・・・でメイン。これは難しい問題で、一旦スルーしようかと思ったのですけど……

■女児自殺「いじめ」隠し問題、市長らが遺族に謝罪
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061005-00000411-yom-soci

市・教育委員会がいじめを隠蔽したとありますが、あーゆーことは普通言うモンでしょうか?「どこそこの学校でいじめがありました」と、ぺらぺら公表するもんでしょうか? むしろ一旦は隠して、学校、PTA、教育委員会、内部の関係者で解決の努力をする、のが、スジじゃないんでしょうか。

いじめに対する対処の是非は、こういった最悪の結果になった以上、学校や教育委員会は責めらるものだと思いますが、何でもかんでも逐一情報開示、てのは、違うでしょう? お子さんを亡くした親御さんのやるせなさは、そりゃあ学校・教育委員会にぶつけるしかないのですが、だからといって、行政の長である市長が謝りに来る、そこまで問題を大きくする、ってのは、なんかお門違いじゃないかと思いました。

今、幼稚園などの運動会では、1等賞2等賞もなし、がんばった子はみーんな1等賞。同じ商品だそうです。かけっこの遅い子が可哀想だから、皆平等。確かに、我が子が運動会でビリになって、泣いて帰ってきたら親は悲しいですけど、だからといって、この平等は行きすぎ。先に書いた「殴る先生」の話も含めて、親がいろいろヤイのヤイの言うのでこうなったんでしょうけど、これじゃ逆効果だと思います。

まず、子供のウチから、ある程度の競争を体験させておかないと、ゆくゆく誰でも通る受験競争に立ち向かった時、挫折感が倍になって跳ね返ってくる。その辛さは……思春期、精神的におかしくなってしまう子供たちが増えちゃうんじゃないかと心配です。

さらに、そういう「行きすぎた平等教育」は、ますます「異分子」を排斥する傾向を助長する。弱い子を思いやる心、自分と違う子を認める心をはぐくまない。いじめをなくすどころか増やす可能性の方が高いと思う。日本特有のムラ社会、出る杭は打ってしまえ社会に、ますますどっぷりはまっていきます。

こういう状況をまねいたのは、今30代40代の親世代、つまり私ら自身にほかなりません。

だから私達親世代は、子供たちには特に意識して「学校が全てじゃない。多様な価値観があるんだ」つーことを、見聞かせて、体験させてやらないといけなくなったな、と、思います。フリータを薦めるのとは違いますが、だからといって一つのレールしか見えないじゃ困る。道を外れるのはかなり厳しい面もあるけど(コレも同時に指し示さないといけない)人もいろいろ、生き方もいろいろ。でも人間同じなんだよと。

「米の飯とお天道様は、どこへいってもついてくる……」昔のひとのこの脳天気さを、もう一度考えてみてはどうかと思います。特に親が。