誘拐事件の顔出し報道

・・・・私のここの日記、これだけ社会がどーの、日本がどーのと言ってますが、いわゆる犯罪・三面記事の話題は、気をつけて、書かないようにしている。興味本位に陥るのはもちろん本意ではないし、事件の背景とか、加害者の境遇とかも、個人の問題の範疇で、論じても仕方がないと思うからだ。

ただ今朝報道があった「女子大生誘拐」については書きたい。事件は無事解決したとはいえ、報道が被害者実名で、もろ顔出しインタビューを行っていたのには、ちょっとびっくりした。
もちろん「本人・家族の同意」の上なのだろう。プライバシー保護が叫ばれる現代、いくらハイエナマスコミでも無断ではできない。

調べてみると、この被害者の母上という方が高名なお医者サンで、被害者の娘さんも時に雑誌に取材されたりしていた、言ってみれば「プチセレブ」だったそうな。だから「今更隠し立てしても……」というご家族・ご本人の意図だったのかもしれない。

・・・に、してもねえ。私は「無事で良かった良かった」という気持よりも、「こんなにマスコミに露出しちゃって大丈夫なの?」って思ってしまう。お母さんもご本人も、もっと自重しないと危ないってゆー自覚があるの? って。「隙があるこの娘さんも悪い」とは、口が裂けても言えないけど、でも、何か違う気がする。私が親なら「娘の取材・撮影は絶対勘弁してくれ」と言うと思う。それが、今回ない。

端麗な容姿、希有な才能、高い地位、経済的余裕。こういった事に恵まれた方が、自分を精一杯アピールし、自分なりの成功を勝ち得ていくのは当然の権利だ。その点に関しては、まあ冗談のやっかみは言うけど、私も認める。

でも、昔の人なら、そんな恵まれた境遇に生まれたことを、当人も家族も、あからさまにはしなかった。かなりわざとらしいタテマエだけど「私などはたまたま運が良かっただけで、一生懸命働いてらっしゃる方々が偉いのです」と、謙遜したものだ。だから、自分の会社やお店を宣伝するならともかく、自分のプライベートまでネットやマスコミで公開するなど、考えられなかった。恵まれた自分の姿をひけらかすことは逆に、眉をひそめられる下品な行為とまで思われていたはずだ。

なぜなら、人間は、社会的成功よりも、円満な人間性を作り上げる事の方が、はるかに大切なことだ、ということを、皆解っていたからだ。

お気の毒な被害者の方に滅多なことは言えないが、この顔出し報道、一億総タレント化時代という言葉を、象徴している部分が、あるのではないか。

また、インターネットなどに顔や個人情報を掲載するリスク、あるいは、ネッ友の個人情報を思わず掲載してしまうリスクを、もう一度考えてみなければならない。そして同時に、世間的な成功や、個人・自分たち家族の幸福を追求することだけが、豊かな人生なのか。う〜んと考えさせられてしまった事件報道だった。