演歌は「日本の心」なのか?


■演歌復活、政治家とタッグ 瀬川瑛子さん「お力貸して」
http://www.asahi.com/articles/ASJ3R521ZJ3RUTFK00H.html


■演歌、いつから「日本の心」に? 流行歌が伝統の象徴になった瞬間
http://withnews.jp/article/f0160613001qq000000000000000W02y10501qq000013462A


国会議員を巻き込んでの「演歌保護」……音楽産業が斜陽の中、演歌部門はそれだけ売れてないんだろう。けど議員に働きかけて答えてもらえるとはなあ。裏に、金が動く何かが有るんだろうか?(以下自粛)


リンクした二つ目の記事にあるように、演歌が「日本の心」と言われ出して久しい。でもこれは、マスコミやら当時の一部の文化人やらが誘導した意見だと思う。記事の中でも作家の五木寛之氏が、「艶歌」という語を作り出し、それが発端だと書いてある。


音楽のスタイル・楽理面から遡ってみても、演歌の歴史は意外と新しいのがわかる。1960年代・昭和30年代後半からだ。少なくとも戦前〜戦後まもなくは、コブシを回したド演歌スタルの楽曲は、無い。あるのは民謡調かジャズ調か、もっと素朴な流行歌スタイルのどれかだ。とても大昔からの「日本人の心」を体現しているとは思えない。


結論を書こう。「演歌」は、作曲家・古賀政男が、幼少期を過ごした朝鮮の歌謡からインスパイアを受けてこしらえた、外来フュージョン音楽である!これを、古来よりの「日本の伝統」だとか「日本の心」だとか言い切るのはどうか。ましてや、演歌を様式化・伝統化して守ろうなんてのは、逆に日本歌謡の多用な可能性にフタをする音楽的後退ではないだろうか。現代の演歌のスタイルは、ドンドコ壊して、新しい音楽、新しい演歌を作っていかねばならない。


以下、戦中戦後の曲を挙げて、少し歌謡曲の歴史を検証してみたいと思う。


藤山一郎「影を慕いて」(1932)


古賀政男最初期の作品。これは朝鮮歌謡調でも、まだ演歌ではないですね。歌唱法も素直です。


三橋美智也「古城」(1956)


これは古賀メロディーじゃありませんが、演歌と歌謡曲を区別する絶好の曲。こぶしがね、回ってるんだけど、細かくすっきりしてるでしょ?でもメロは、だいぶ演歌に近づいてきました。


美空ひばり「柔」(1964)

https://www.youtube.cohttps://www.youtube.com/watch?v=c9Ehx2XVH6k


古賀政男作品。現代演歌の唱法の元祖は、私はこれだと思う。日本古来の武道がテーマだったおかげで、この世界が日本人の心とか言われだした。そのせいも多分にあるかもしれないと。


ともかく、大衆芸能を無形文化財化して、保護して一定の既得利権を確保しようなどは、話が違うし間違ってると思う。こんなふうに保守化鎖国化すると、余計に動きが取れなくなり、若者にそっぽを向かれ、やがて滅びてしまうよ。ただ音楽文化の活性化には、それも世の流れかもしれないが。(爆)