冨田勲先生逝去


■作曲家・シンセサイザー奏者の冨田勲氏逝去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160508-00000005-mantan-ent


全くつい先日まで、何のご病気もなくピンピンしてらしたと思ったのに。今年はデビッド・ボウイキース・エマーソン、プリンス、そして富田先生と、全く音楽界の巨星が次々鬼籍に入られる。(TT)


冨田勲先生に関しては、自分が子供の頃の「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「マイティジャック」などの、TVの音楽の作曲家として。そして自分がちょっと成長してからは、日本で最初にムーグ・シンセサイザーを導入し作品を作った「元祖ミスター・シンセサイザー」として、本業はクラシックの作曲家とはいいながら、いつの時代も常に自分の身近にあって先を進んでいる、偉大なサウンドリエーターという印象でした。近年は「初音ミク」を導入した交響曲で、世間の度肝を抜かれましたね。


Korg Synthsizer MS-20
http://www.korg.co.jp/Product/Dance/MS-20mini/history.html


コレは自分が初めて買ってもらったシンセサイザー。高校時代3年間いじり倒した想い出の銘機です。最近のアナログブームで再発売されました。私が買った個体はもう壊れて、くず鉄になって久しいですけど、でも自分が、後に多重録音や打ち込みで楽曲制作していく、きっかけになった楽器です。(田舎の高校生が、よくも買ってってもらえたもんだと、親に感謝ですわ。)


自分は、特に電子音楽に特化してのめり込んだ記憶はありません。が、当時はYMO全盛。喜多郎とか姫神とか、勿論冨田勲先生も全盛期でした。ロックやポップスを聴く傍らに、必ずこういう「ジャパニーズ電子音楽」は常に耳に入ってきました。内外の歌ものポップス寄りの音楽でも、シンセはどんどん使われました。YMO以降は打ち込みの手法も一般化し、日本の楽器メーカーはシンセや電子音楽機器のトップになりました。なにせ田舎の高校生が、おもちゃとして手に入れられるほどでしたので、その楽器としての隆盛ぶりはすごいものがあったのだと思います。


その後自分も、何台かシンセを買い換え、現在は全部ソフト音源に切り替える形となって、今に至ります。


マチュアバンドがシンセを買えるほどの、電子音楽大国日本、しかし冨田先生がもし居なかったら、ここまでの隆盛はないでしょう。


そいうった自分の楽器遍歴で、シンセを触ってきたものとして、冨田先生への尊敬と感謝は、いくら筆舌を尽くしても足りないです。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。


■アジア古都物語


■映画「学校」テーマ音楽