とどのつまりは24年組


古い少女漫画ファンの方には分かると思うが、「花の24年組」と呼ばれる作家の一群が居る。


少女漫画の変革期だった70年代後半〜80年代前半、主に小学館少女コミック誌上で活躍した、萩尾望都竹宮恵子大島弓子などの作家たちの事だ。たまたま皆、昭和24年生まれが多かった事から、こう呼ばれた。この作家たちは、それまでの恋愛もの主体の少女漫画の枠を大きく飛び越え、SF作品や難解な心理や哲学を含んだ題材さえ描いていった。


自分、この時期にもろ思春期(中学生高校生)だったことと、ちょっと年長のイトコのおねいさんの影響で、少女漫画にはまってしまった。


書き古した事だが、少女漫画の精細な心理描写や、ヒロインのいじらしさにやられたのだ。心が表現されてあると思った。それからは少年漫画の格闘もの……「リングに賭けろ」「北斗の拳」あたりが、急につまらくなった。イトコが月刊誌中心に買っていて読み切りが多く、そこもよかった。


以降、帰還不能になっている訳だ。一時期古書店にめちゃくちゃ通って、単行本もかなり集めた。今では熱はかなり冷めたが、それでも好きなことに変わりはない。


で最近思うのだが、本当に男が読める少女漫画って、結局この、24年組の人たちの作品だけだ。


いや言い直そう。本当に自分が必要な少女漫画は、24年組の人たちの一部の作品だけだ。


この24年組の作品は当時の文化人……作家の橋本治とか、宗教学の中沢新一とかがこぞって評価し、持ち上げられた。私の好きだった故・河合隼雄先生も、竹宮恵子先生と大島弓子先生については絶賛している。


実は私はその状況が逆に気に入らなかった。だって偉そうな人たちが、少女漫画のしっぽだけかじって、いやー少女漫画は素晴らしいとか言うんだよ?今まで見向きもしないで。以前から読んでいる自分はもうとっくに知ってるぞという自負もあって、気に食わなかった。


それに24年組以外でも、例えば大和和紀さんとか、槇村さとるさんとか、いいストーリーテラーはたくさん居た。そっちを評価しないのはいかにも片手落ちだと考えたのだ。


でもね、自分の熱が冷めて、冷静に考えてみると、やっぱり上記のような結論になるんだよなあ。


結局、単なる恋愛漫画は要らんということになるのか。恋愛以外の、性差を越えた部分、人間全体を見つめたような、普遍的な「こころ」を見つめたような作品が、結局残ってしまう。別にネガティブな消去法で少女漫画作品を消していく不毛はしたくないが、自分が男である以上、そうなってしまう。それは別に24年組でなくても良いのだが、やっぱりそこへ、還ってしまうんだ。