原発に対する考え

●被災を経験しての原発に対する考え


・・・人間がコントロールできる範疇を超えた「大きすぎる火」をもてあそんだ「天罰」・・・石原知事じゃないが、この発言、こいうった考えは、被災者にとっては「ふざけるな!」という思いだろう。余りにも文学的ロマンチックが過ぎる。


しかしながら私は、怒りを感じながらも、心のどこかで、この考えに賛同する部分がある。


地元民として、推進派として、時には「大丈夫、安全だよ」と自分も言ってきた。結果的にそれは、全部嘘だった。その報いが訪れたのかもしれない。


1号機から4号機までは、特に設計も古く、元のアイディアはメリケンゼネラル・エレクトリック社が提示した設計を踏襲したもので、もう設計時点で地震国の日本にそぐわなかった部分が、あったのではないか。


それと、非常用電源が、建屋外の低い位置にすえつけられていた。これもうすうす、いざという時には役に立たないのではないかということは感じていた。


さらに、建設当時のベテラン職員がこぞって退職した現在、シュミレーターでしか原発を知らない若手職員だけでは、緊急時に対応が出来ないのではないか、と言う声も、一部からはあがっていたのも事実なのだ。


自分も知らされていないこともあった。まず原子炉・核燃料は、これほど冷めにくく、常に循環水で冷却していなければならなかったのか、という点。結構基本的なことだろうに。


こういったことを感じながら、じゃあなぜ今まで黙っていたのか、声を上げなかったのか、と、ののしらないで欲しい。風評被害に苦しむ、会津とか福島の他の地方、茨城などの方々には本当に申し訳ないが、私の地元は風評どころではない。


「我が心のジョージア」とか、故郷を思う切実な歌がある。国土の狭い日本では、こういう歌があまり響いてこなかった。今、やっとわかった時には遅すぎた。


私たちは、ふるさとを失ったのだ・・・・。