避難所日記その3


●3月15〜4月2日まで


・・・避難所でのダンボール暮らしは、曜日の感覚すら忘れてしまう。一日をまったくモウロウとして過ごす。そのくせ変に神経がとがって、少しの物音でビクっとする。会話の理解力も低下し、人の言った事をいちいち「えっつ、何?」と聞き返す。なのにちゃんと思考して答えを返すことも出来ない。突然昔のなんでもない記憶がよみがえり、それについて変なたわごとを言い出す。もちろん、ぶち切れるヤツはブチキレる。


・・・とまあ、極限状況の人間って、こうなります。


しかしながら自分のことについては、若い頃、半年ほど「タコ部屋暮らし・連日の深夜残業」を経験したことがあって、その経験が役立った。あの時に比べれば、今回仕事のプレッシャーが無い分「楽」かもしれない。人がどうおかしくなっていくかも観て知っているし、少しは心理学の知識も備えになった。事態はより深刻なのにね。


・・・支援物資も有難いことに、5日過ぎぐらいから入るようになった。(逆に言えばそれまでは何もこない。今後の災害支援面でも課題だろう)翌週になるともう、本当にドンドコ入るようになった。


ただ甘い菓子パンばかりがいっぱい配給される。贅沢のきわみだがこれには閉口した。年寄りは甘いものは殆ど食わない。例えば御新香とか、梅干など、塩辛いものが好き。あと日本茶が欠かせない。こういうものの配給はついぞ無かった。皆、「買い物に行くなら御新香買ってきて」となり、地元スーパー(歩いて40分もかかる!!)から御新香が消えたとか【笑)。


カップめんも意外と数が来なかった。これも年寄りは、うどんなら食えるが、小洒落たスープ味の麺などは食べられない。パスタなど、飲み込みの悪い年寄りに与えても全く無駄。そういう「的外れの支援物資」が多く、残念ながら廃棄になったものも多く出た。


下着なども頂いた。男性用はともかく豊富に頂けたが、女性用下着は、ババシャツ1枚も入ってこなかった。避難所を出る前日、わずかに配給されたが、年寄りだらけのところにキティーちゃんのブラが(笑)その間、おばちゃん&ばーちゃんたちは、男性用のモモヒキとか履いて頑張っていたのだ。


風呂は、最初一週間はまったくなかった。一週間後に、これは避難先の市の施設で入れて頂いた。マイクロバスに乗って押すな押すなで入って、ゆっくり漬かる暇などもちろん無い。でも有難かったです。国の正式支援として自衛隊の仮設風呂がオープンしたのは、実に10日以上経ってからだった。マイクロバス移動で週2回限定は変わらなかった。それでも自衛隊の皆さんは、時には年寄りの話し相手もしたりして、一生懸命やってくれた。有難かったです。


・・・まだ続きます。