「偽装」か「つまみ」か


■テレ東、アイスショー真央転倒を偽装
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100424-00000041-sanspo-ent


・・・「偽装」とは、おだやかじゃないなあ。サンスポ。アイスショーなので、ビデオ編集の「ハサミ」が入っても「偽装」とまでは言い難い。3日間行われたうち、その良い部分だけを「つまんで」という手法も、それはそれでアリかとは思う。


しかし。「品格」という点では、どうなのだろう。


私個人としては、ショーも一回一回が生ものみたいなモノ。失敗したら失敗したなりのものを見せて欲しかった。選手だって、失敗したのは自分自身なんだし、まんま世に出ても仕方ないと納得できるだろう。メディアは黙って、選手が提供した演技をそのまんま伝えるべきかと思う。つままないで、3回のうち比較級で一番良いのを流して欲しかったな。偽装呼ばわりはしませんが。これが、例えば歌舞伎の舞台中継で「つまみ」をやったら、役者は逆に怒るでしょう?


上海万博のテーマソング盗作問題と、上のフィギュア映像つまみ問題は、質が違うと言われるかも知れない。でも私はあえて、同じ心から発生したと言いたい。上海の作曲家も、テレビ東京のディレクターも、いいものをつくりたい気持ちが強いのは良いんだけど、そこに「文化的歴史的なモノに対する尊敬」が、それぞれのジャンルに対する「根本的愛情」が、欠けていると思うのだ。


かたや英米中心で続いてきたポップ音楽、かたやヨーロッパの舞踏伝統の上に成り立っで続いてきたフィギュアスケート競技。両者それこそ、掘っても掘っても計り知れない豊穣だ。そこに愛情と尊敬を払って接してきた者だったら、つくった曲を世に出す前に、はさみを入れようとしている演技を前に「ちょっとまて、うっかりしたことはできんぞ」と、思わないだろうか? その場ではよかれと思って(ほぼ無意識か?)やったにせよ、やっぱり「付け焼き刃」「やっつけ仕事」といわれても、仕方がないと思うんだよね。


そしてそれは、音楽やアスリートに対しての愛情だけではなく、視聴者一般、果ては「他人という人間存在」全体への、愛情不足にまで、繋がりかねない。意外な心の大問題だと思うのだが、どうだろう。