人間60年・ジュリー祭り

昨晩のテレビですが、ジュリー沢田研二の、年末にやった東京ドーム公演「人間60年・ジュリー祭り」の放送がありました。全80曲6時間におよぶすっごいコンサートだったとかゆーやつですね。


もちろんよかったんですが、これにもまた、複雑な面もあります。


全盛期を知る女性ファンからは、メタボじじいになってしまったジュリーなんて嫌!、って声も、一部から上がっていましたが、その通り。残念ながら、体は絞れているとは言い難いです。あごなしじじいだったし(苦笑)例えば郷ひろみと、か、小田和正とか、中年から初老と言われる世代にさしかかっても、なお美声とコンディションを保ち続ける人たちに比べると、ちょっとどうかなと思う。昔、美貌と派手なファッションで売っていたロックスターの、老いた姿は、観るに忍びない部分もあります。


かつて所属していた大手「渡辺プロ」からの独立の際、確執があったとか、あれだけ一心同体だった井上尭之バンドとも、けんか別れになったとか、いろいろあったんでしょう。自身望んだ部分もあって、派手なテレビの表舞台からは消える格好になりましたが、アルバムと地道なライブ活動だけは、ずっと続けていたようです。そのうちの何曲かは私も聞いたことがありますが、理屈っぽい歌詞があったり変に難しくした曲があったり、正直ちょっと楽しめませんでした。


しかし今回、その楽しめなかった曲たちも、昔のヒット曲たちと雑多に並べられ、聞かされてみると、その玉石混合ぶりさえ、この人の音楽であると、不思議に納得してしまう。似合わなくなった金髪で、太めでドタドタぜえぜえしながらも、舞台いっぱいに走り回り、一生懸命歌う姿は、どこか滑稽で惨めでありながらも、結構「鬼気迫る」ものがあり、胸を打たれさえします。懐メロ歌手、昔の名前で出ています、ではない、今なお新曲を出す現役のロックシンガーなんだぞという意気込みも感じました。


謡曲とロックの狭間で、危なく輝いていたジュリー。今でもその狭間にいて、昔の輝きとは別のものを、つかんだんんでしょうか。