松田聖子は修羅なのだ

・・・国営放送で「松田聖子〜女性の時代の物語〜」というドキュメントを放送していた。某ネット友さんのトコでも話題になっていた番組の再放送だ。

聖子ちゃんはごぞんじの通り、数々のスキャンダルとバッシングに晒されながらも、頑として我が道を貫いた。その奔放とも言える生き方に、同世代の女性たちが非常に共感し、生きる上で「はげまされている」というのだ。

番組では、聖子ちゃんのインタビューの他に、そういう「はげまされていいる」ファンの人に話を聞いている。会社経営と子育てと、どちらも犠牲にしたくないと言う女性は、まだ小学生ぐらいの息子に聖子を聞かせ、コンサートにも連れていく。なんだか息子は居心地が悪そう。一緒に虫取りとか海水浴のほうがいいのに。
また、40才近くになっても一人暮らしで、仕事に生き甲斐を求めて頑張っている方も紹介された。仕事が生き甲斐と言っても、その生き方には自分でも不安があるという。実家の福島の母親からは、毎日のように田舎に帰って来いと電話が来るという。

聖子の娘のサヤカちゃんもインタビューに答える。「淋しいとか不足とかはない。ただ、なぜ?(お母さんは芸能人で、いつも家にいないんだろう)という疑問はあった」と言っている。

・・・・どうなのだろうか。

彼女、聖子ちゃんの生き方は「修羅」の生き方ではないかと思う。我を通すこと。我が道を行くことに、戦っている戦士だ。

で、私。最近、自分は「諸法無我」とか「ミンナニデクノボウトヨバレ」とか、そういう「戦わない、何もしない」生き方に、惹かれるようになってきている。

聖子ちゃんが、例えば彼女が60才過ぎて、体も動かなくなって、必ず来る自分の限界を目の当たりにしたとき、それでも前向きに、新たな目標を見つけられるのだろうか。
また、母親や父親など、愛する近親のモノが、介護が必要な病気になったりしたら、どう感じてどうするのか。

番組中、子供に無理矢理聖子ちゃんを聞かせていたお母さんは、やはりもうすこし、子供の側に立って一緒に居てやって欲しい。
福島に帰ってこいと母親に言われながらも、一人暮らしで仕事を頑張っている彼女は、私は、帰った方がいいと思う。

「修羅の我を通す」よりも「周りの愛してくれる人に、我を捨てて答える」そちらの方が難しいし、私はそちらのほうに、最近特により一層、惹かれるのだ。