旋律の質

今まで作った歌を、バンドで、インストゥメンタルで出来ないだろうかと思い立ち、Midiで聞いてみた。

・・・・結論を言ってしまうと、これが「無理」なのである・・・

いや楽器の演奏テクニックは、得意のごまかし、なんとかなる。問題はメロ自体。歌だと、飽きずに聞いていられるメロディーが、インストだとたちまち飽きちゃうのだ。どうしても冗長で間が持たない。歌=歌詞がないのだから飽きて当然なのだが、作曲屋としてはそこに裏付けとなる音楽理論がほしい。これが良く解らなかったのだが、ジャズやフュージョンの曲を改めて聴くうち、段々解ってきた。

これも結論を先に言ってしまうと、「一個一個の動機・モチーフが長すぎる」のが、まず一番の原因だと思うのだ。歌ものポップスの場合、詞のせいもあるけど、モチーフ自体が案外長い。4小節ではじめて一個のモチーフとして完成するケースとかが多い。方やジャズのインストゥメンタルの名曲などは、モチーフ自体が短くシンプルで、1〜2小節単位の短い動機を、コード進行に乗っ取ってくり返すパターンが多い。音程は変化して行くが、リズム形は変わらずに行く、というパターンである。

曲構成の複雑さも、実は歌ものポップスの方が複雑だったりする。Aメロ=平歌部分の他に、サビBメロ、大サビCメロ、さらにブリッジといって2番と3番の間に1回だけ出てくるDメロとか、とにかく段落が多い。方やジャズ。楽器のアドリブが交代で続いてさも複雑そうに見えるが、じつは曲の段落自体は2つか、せいぜい3つ。伴奏形ごと変奏して行ったりするので解りづらいが、よくよく聞いてみるとシンプルなのだ。

じゃあ簡素な曲にして、アドリブ部分を多くすれば、それでいいのか? 違うのである。シンプルであればあるほど、逆に一個一個のモチーフの、チカラというか「旋律の質」が問われる。基本部品の質が悪いと、それをどう展開していっても、薄っぺらなものにしかならない。そのうえ、シンプルで短い条件だと、使える音・使えるリズムが限られる。イコール、ありきたり、類型に堕する危険性、知らず知らずのうちに何かに似てしまう「盗作」の危険性も高まる。

カシオペアとか高中正義とか、かつて結構栄えたフュージョン・ミュージックが、案外短命に終わったのは、このあたりの作曲上のジレンマが、うまく克服できなかったせいもあるのではないか。逆に、大昔50年代60年代のオールディーズポップスが、時代を超えて多様なアレンジに耐えうるのは、モチーフのチカラ、基本の旋律の質が、やっぱり圧倒的に良いせいではないのか。そんな風に思ってしまったのでした。

・・・今回はなんて作曲家らしい(笑)