親子でロック、親子で漫画

・・・「テポドン撃っていいよ」なーんて書いたら、本当に撃ちやがった(´`;)

北朝鮮許すまじ」とは、私も思う。とんでもない国である。でも、みんながみんな「なめられるな!強硬策を!」と叫ぶ状況は、太平洋戦争突入前の世論風潮もそうだったのではないのか。日本国全員が右向け右、それはとても恐い気がする。

・・・さて、某テレビ番組の企画「ギター少年竜之介くん」のシリーズは、まだ続いているのだろうか。私はあまり真剣に見ていないのでわからないが、これ、親御さんがロックファン&バンド経験者で、かなり「特訓して教えている」のでしょ? あんな幼児が独力でパープルなどの70年代ハードロックにハマルとは、とても考えられない(笑)飽きっぽく集中力のない子供に、あれだけギターを弾きこなさせるのには、親が相当毎日ねばり強く教えないと出来ないと思う。ある意味、幼児虐待なんじゃないか?(爆)

ま虐待は冗談だが、音楽娯楽の中でも反社会・反権威の象徴だったハードロック、その「悪魔のツール」だったエレキギターを、親が子供に教える、そういう時代になったのだとしみじみ思う。親子でビートルズファン、ストーンズファンってのも、欧米はおろか日本でも、「ほほえましく結構な趣味だ」と受け取られるようになったのだろうし。どこか違うだろ!といいたいけども。

漫画にしてもそうだ。私は少女漫画派なので話はどうしてもそちらに行くが、某コミュニティーの(mixiだけど、笑)「萩尾望都コミュ」で今、興味深いスレが立っている。「10代の萩尾ファンはいませんか」の問いかけに、たちまち40人50人と集まって来たのである。で、書き込みを見てみると「母親がファンで、中学高校の時読んではまった」というケースがほとんどだ。中には「父親に(!)熱心に勧められて、読んでみたらぼろぼろ泣けて、以来父娘で熱狂的なファン」なんていう若い方もいた。

70年代、少女漫画に革命を起こした一人である「萩尾望都」。少年を主人公とした耽美的で難解な作品群は、「悪魔」とはいわないが、今読んでもメインストリームとは一線を画すモノだ。甘い味の大量消費娯楽とは違うという点では、ハードロックやプログレと一緒と言える(←かなり無理があるか?)

そういった「ちょっと通なエンタテイメント」が、「文化」として親から子へ受け継がれる、こんな時代は、よく考えてみると、歴史上かつて無かったのではないか? と思う。学問や文学、美術やクラシック音楽は、親子伝承はあったかもしれないが、「娯楽・サブカルチャー」に関しては、無かったろう。少なくても、高度成長期生まれの私と、戦後焼け跡世代の私の親との間では、考えられなかったことだ。ことに「戦争」のせいで、価値がひっくりかえってしまった、私の親の世代との文化の落差はすごいと思う。趣味も価値観も共有できるモノは皆無といっても良い。これってある意味、時代による特殊な不幸かもしれない。

そう考えると今の、「親子でロック、親子で漫画」は、本当に幸福な時代に生きているのだと改めて思わせてくれる。親の過干渉は子供の自主性を阻むんじゃないの? とか、新しい文化想像力が落ちてるんじゃないの? とか、思う例もあるけれども、やる方にとってはイチから構築するよりはラクなことは確かだ。まあ、ロック音楽も漫画も「古典芸能」の域に入ったって面もあるけどね。

この子どもたちが、親の世代の積み重ねを見据えて、そのまま続けるにしろ一度壊すにしろ、さらにすごいものを作ってくれると願う。(ただそれが「ラップ」や「萌え」じゃ、なんかヤダけど)きっと大丈夫、そうなるだろう。そのためにも、北朝鮮に武力報復〜開戦! なーんてことには、絶対、なってくれるなよ!!