映画「真夜中のカーボーイ」


・・・私が高校時代に観て、ボロボロ泣いた映画が


■「真夜中のカーボーイ
http://www.amazon.co.jp/dp/B000S6LHXU/


なんです。ニューヨークの掃き溜めに生きる、どうしようもない男二人の友情を描いた作品です。名画の誉れも高く、特にダスティン・ホフマンの情けない小悪党の演技が最高にいい。


ところが、下記映画紹サイトの感想欄を見て、ちょっとびっくりしました。


http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=22428#2


ともかく「こんなろくでなしの悪党が破滅して行く話に、全然共感出来ない」と言う意見が、数は多くないけどいくつか散見されるんですね。「主人公は田舎からニューヨークに出て来て、何をしたいのかと思えば「男娼」だし。相方はゆすりたかり万引きで生活しているようなクズ。そんな二人が、他人から巻き上げた金でフロリダへ行って楽しもうとか、その神経が理解出来ない。」と。


・・・まあ、そうなんだけどね(^^;;


でもね、これは「アメリカン・ニューシネマ」といって、悪役、ごろつき、ろくでなしを描く事によって、社会の醜い部分の告発とか、底辺でどうしようもなく生きて行く人間でも優しさがある限り尊重されるべきなんだよとか、そういうことを言わんとしているんですよ。清廉潔白の正義の味方が悪をやっつけるばかりが物語じゃありませんでしょ??


悪が主人公の話は「ピカレスク物」といって、昔から有る物語創作のパターンのひとつです。これが作品として許せないとなると、芸術を味わう上で随分損をしてしまうような気がします。


ひいては、優しさよりも道理や建前をあまりにも優先しすぎると、人の心の痛みもよく分からなくなってしまう。更に行き過ぎると、精神障害者を虐待したり、ホームレスをオヤジ狩りしたりまで行ってしまう。


単に映画と現実を混同しているだけなら良いのですが、感性の掛け違いに、ちょっと恐くなっている私です。