加藤和彦再度礼賛〜CD買い直して〜


・・・以前から繰り返し「傑作だ!」と吹聴している、故加藤和彦氏の80年代のソロアルバムを3枚、CDで買いなおした。



写真は右から79年の「パパ・ヘミングウェイ」80年「うたかたのオペラ」81年「ベル・エキセントリック」。この3枚だ。ヨーロッパ三部作と呼ばれ、いずれもテーマモチーフとして「20世紀初頭のパリ」が繰り返し描かれる。音楽的にもシャンソンやワルツ、タンゴの懐古的な曲調を、当時全盛だったYMO一派のテクノ技法に助けを求め、現代の先鋭音楽として表現している。


とにかく華麗できざで大げさある。短調の曲などこれでもかというくらい悲しい。で曲調は前述した古臭いリズムをわざと採用している。それをシンセで打ちこみでやるもんだから一種異様なアレンジとして耳に届く。特に「ベル・エキセントリック」では、耳に痛い音色も容赦なく登場する。


歌詞もまたすごい。やたら「パリの夜は、パリの街は〜」と出てくる。作詞の故・安井かずみ女史の趣味であるが、ベル・エポックと呼ばれた前世紀初頭のフランスという舞台設定、作った世界観が徹底している。ダンスホールやカフェでの舞踏会、放蕩な資産家、恋に生きた画家、つれない踊り子。有産階級の人々が織りなすセピア色の人間模様。懐古趣味・成金趣味で嫌になるほど。


そして当の加藤氏は、その金ピカの世界に優しいメロディをつけ、非力ながらまた優しいヘタウマ・ヴォーカルで聴かせる。このヘタウマさが味である。これが朗々と歌われたら心底ウザくて聴くに堪えないだろう。他の人ではこの歌世界は伝わらない。自作ということもあり、表現に照れや逃げはない。むしろ言葉が逆に良く伝わると思う。


と、これだけ特徴を書くと、あまりにもロック音楽からはかけ離れた、嫌みでどうしようもない音楽のように聞こえる。実際その部分も確かにある。


でも、いいのである。この洗練とフィクションの構築から、浮かび上がる世界がたまらない。そして音は、やっぱりロックだ。


なんというかなあ……やはり「出来栄えの洗練度」が、けた外れにいいんだと思う。その意味では職人的で表層技巧的な音楽なのだけど。


成金と言っても、半端に金持ちで教養も浅い人ってすぐバレるでしょう?でも本当に金持ちで、教養も人徳もある人って、とても純粋で優しかったりする。そういう人の前に出ると、もうひれ伏して愛するしかない。このアルバム、安井&加藤コンビの世界って、そんな感じがするんだ。


そこに人生が無いわけじゃない。むしろ懐古趣味、浪漫主義ってのは、人生に対する深い考察と失望・達観が無いと到達しない境地である。現代の成果主義・数値主義とか、いつも健全に明るく生きていれば、深い人間感情などむしろ排除すべきだとか、そういう「今」に対するアンチテーゼも、無意識にあると思う。これが大きい。


YMOの細野さんは「西洋から見た、誤解された東洋」を、わざとキッチュに音楽で表現した。加藤さんは「日本から見た、多分に誤解も含んだ西洋」を表現したのだと、評する方が居る。なるほどと思う。


着眼着想から構築、表現結果にいたるまで、これほど徹底し、これほど「やりたい放題」やって、しかも「やりきった」音楽って、そうそうないと思う。その爽快さにおいてもまた、加藤氏のこの三部作は、日本の音楽史上に残る傑作だと、今後も繰り返し伝えていこうと思う。