フェイスブックにもの申す


遅ればせながら「Facebook」と「Twitter」を始めてみた。


http://www.facebook.com/terry.yokota1

https://twitter.com/#!/terryyokota


双方短文投稿が主なので、私にはあまり向いてないメディアだろうと、人にも言われていたのでやらないでいた。気が変わったのは、まあ仲間がそちらへ流れていっているので、「ひとりにしないで〜〜泣」っていう理由だ。


ツイッターの方はやってみると、意外と「ぶつぶつ」小言を言うケースに良い。これもいろいろ、世界的なつながりの構築も可能なのだろうが、今のところ自分は「ぶつぶつ君」として使わせて頂こう。


フェイスブックは、さらに進んだSNSだ。機能が多過ぎて分からんのが本音。でここは、原則「実名登録主義」だそうだ。パソコン通信時代からの日本のハンドルネーム文化なんぞ、おかまい無しのアメリカ生まれだ。


でもってこのフェイスブックは、かなりの突っ込んだ個人情報や、現実での学歴職業歴や家族にまで言及する欄がある。必須ではないがなるべく登録を推奨している。そういった「リアルネットワーク」でも使って貰おうとする意図だ。ビジネスライクと言うかやはりメリケン的な匂いがする。「タイムライン」という機能では、一丁前の「自分史」を時間軸で製作出来るようになっている。


そのオープンさが、どうにも気に食わない。


田舎者で低学歴低収入、嫁の来手もない、情けないだけの中年男は、胸を張って学歴や職歴を書けないのだよ後ろめたくて。フェイスブックで自分の人生を公開出来る人は、中央の都会で横文字職業についているような、ハイ・ソサエティーの人ではないのか? フェイスブック自体が、そんな富裕階級をターゲットに作られているんではないのか??


はい、ひがみ入ってます。(ーー;


ネットは非現実のパラダイスであるべきだ。肩書きや表層をとっぱらったメンタリティー同士の共感と、同じ趣味趣向の仲間の集まりであって欲しいのだ。リアルは、要らないとは言わないが、二の次にしてほしい。


俳人や茶人が「雅号」を用いて、活動した古代の文芸や雅(みやび)の世界。毛唐が作ったシステムには、その崇高さはわからない。