SNSの日記が怖い


さて、私は他に、某ミ○シーもやっています。近年SNSには必ず「ニュース欄」があって、いっこいっこのニュース記事について、日記=ブログ記事が、書けるようになっている。で、書くと「このニュース記事について日記を書いている方は、この人ですよ」と、日記のさわりが紹介され、リンクで繋がるしくみになっています。まあ共通項をみつけて、そこから交流を広げていこうという意図もあるのだろうが、どうにも他人様が書いた日記にアクセスしてみてみようという気になれない。それどころか、見ているととても怖い。


何故かというと、とにかくあまりにも、過激でネガティブな意見が目立つからだ。刑事事件を取り上げた日記などでは、「犯人とおぼしき輩は問答無用で殺してしまえ!」と来る。これは序の口で、芸能人のスキャンダルなどに言及するとなると、もう人格攻撃、陰湿な嘲笑、見るに堪えない。これでは自ら「荒らし」の種を蒔いているようなものだ。


まあ三面記事とか、ワイドショーネタ自体、低俗な方向にしか行きようがないんだが、それにしても、友人同士井戸端うわさ話とかでも、こんな風に過激にやってるものなのかねえ。どうにもみんな「他人の痛み」が解らなくなってきている気がするぞ。


そんななかで、ほっとする記事
■読売新聞「発言小町掲示板「他人の何気ない一言に助けられた」トピ
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0419/309359.htm?o=0&p=1


長くて、私もまだ見切っていない。でも冒頭のトピ主の、タクシーの運転手さんに『暗いから気をつけて帰るんだよ』の一言に、わんわん泣けて、すごく助けられた、という書き込みとか、本当にほっとする。自分もこういう風に、さりげない優しさ、意識しないいたわりを、他人にかけられるような、人間になりたいと思う。


・・・って、私今、偽善シマした?


いやでも本当にそう思う。若い人等も、自分ばかり貧乏くじを引いて割に合わないとか、どっちみちこんな環境じゃ何も始まらないとか、そういう「他罰的な」ネガティブな、他人を責める感情は、捨てろ押さえろとは言わないけど、でも他のことを見ないと。黒い感情をはき出してるうちに、どんどん時間が経って、知らずに年老いてしまうのだからね。